The reason which is impressed.

ぼくの人生史上初の5回リピートとなったエヴァ「破」。先日DVDもリリースされたので、あらためて何故感動するのか、なぜリピートしてしまったのか、考えてみました。

エヴァには隠された(語られない)謎が多く、見逃したシーンを確認するということもリピートの理由たり得ます。しかし、それだけでは劇場へ足を運んでリアルに見ることの理由がよく分からない。

以下は、碇本学さんのBlog「Spiral Fiction Notes」より部分引用させていただきました。

A.T.フィールドは心の壁。
そこから先に踏み込み、綾波をこちら側に引き戻す。
そういう意味では心と心が重なった(レイに心がとリツコは言うだろうけど)。
セックスでの肉体と肉体の簡単な接合よりも心と心が重なる方が難しいのだ、
ということを実体験上知ってしまっている人たち、ある程度の年齢層が上の方がたぶん大学生とかよりも泣いたのはそのためだろう。
旧劇場版でのシンジと比べて泣けるというのはあるんだろうけど、大人になってしまった故に知ってしまった事。
最終的に心と心で繋がりたい、繋がる事がどんなに難しいかをシンジとレイを見て無意識下に感動したんじゃないだろうか。

本来セックスは心と心の接合の先にあるべきだろ、という倫理的理想感はおいといて、感動の理由のひとつが提示されたように思います。
これを受けて、自分なりにもう一度考えてみました。

カッコイイシーンは沢山ありますが、やはり感動のシーンはココ♪

 シンジ「ぼくがどうなったていい。世界がどうなったっていい。だけど綾波は、せめて綾波だけは、絶対助ける!」
 ミサト「行きなさいシンジくん!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」
  レイ「…いいの、碇くん。私が消えても代わりは居るもの」
 シンジ「違う。綾波は綾波しか居ない!だからいま、助ける!」

そして、林原めぐみさんによる「翼をください」をBGMが流れクライマックスと言える救出シーンへとなだれ込む…
何度見ても、胸が熱くなり、そして泣ける名シーンです。

「綾波を返せ」というシンジの思い(願い)に見ている観客自身の(つまりぼくやあなたの)思いが共振増幅し、それがシンジ+エヴァ初号機によるレイの救出という形で解放(成就)される。その感動なのでは無いでしょうか。それはまさに快楽(エクスタシー)そのもの。これこそがリピートの理由ではないかと。

そして、シンジも「違う。綾波は綾波しか居ない」と言っているように、救出しようとしているのはクローンとしての綾波ではなく、そこに宿るレイの魂なんですね。このエヴァ物語を通じてひとつしかない(「だからいま、助ける 」の「いま」は凄く重い意味がある)唯一無二のものです。そしてそれは、全ての人にも宿っている魂でもあります。このリアル世界においても、善悪を越えて人というものの価値であり、人が人との繋がりにおいて初めて人となることを再確認させられます。

なお、物語では綾波の魂を救出しますが、みてるぼくらに「綾波」なんて存在は、いなかったりします。
でもいいんです、綾波なんて居ない方が。その方が、それぞれが思う綾波の像を描いて純化しやすい。
そうして出来たそれぞれの綾波を救えばいいんです。

人と人の繋がりは、かえがえのない貴重なものながら、なおざりにされている現実。いまの世界を生きる庵野秀明のエヴァ物語は、どこまで続くのか。それはもちろん、サードインパクトが起きるまで(笑)

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